車椅子をご存じですか?
Aさんの長男に限らず、息子は他人様に迷惑をかけるような父親を許すことができないのだと思います。
Aさんは、定職につかずブラブラしていて、おばあさんががんばって働いて家計を支えざるを得なかったという家庭でした。
そういう父親に対しての情けなさも影響しているようです。
おばあさんと長男との話し合いの中で、私は痴呆診断センターへの受診をすすめることになってしまいました。
家族は、「毎日家まで送ってもらったり、何度も捜索してもらったりするのは、職員の方に気の毒だ。
あんなじいさんは薬で動けんようにしてもらうしかないわ」と言うのでした。
家に帰っても何をするかわからないので、与謝の園に置いてもらいたいというのが家族の希望でした。
正月明けに受診をして、Aさんの行動を薬で抑制することになったのです。
園に帰る車の中で、『遅かれ早かれこうなることはわかっていたじゃないか。
介護の工夫、努力で居心地の良い所だと思ってもらおうと、外出要求などにできるだけ応えてきたけど、結局のところ頼る物は薬しかないのか。
今まで努力してきたことは結局無駄なことだったのか』なんて考えていました。
園に帰って報告すると、「仕方ないな」1事故の危険性を考えると薬に頼るのも当然だろう」124時間Aさんを監視すること自体に無理がある」など、薬の使用を容認する言葉しか返ってきませんでした。
だれも薬なんかでAさんをコントロールしたくはないけれど、どこかで妥協点を見つけなければならないのです。
Aさんは何度も何度も脱走を繰り返し、とうとう女性職員に暴力を振るうまでに興奮していました。
そんな状況のなかで私が決断したことは、今思えば情けない話ですが、ずっと今まで使用することに抵抗してきた向精神薬の使用でした。
あんなに心の中で抵抗し続けてきた向精神薬の使用をあっさりと承諾し、自ら嘱託医に電話で薬の指示を仰いだのでした。
指示された薬は、グラマリールという中枢性異常行動改善剤でしたが、その薬もAさんのパワーには勝てず、翌日もその次の日も、多少身体がふらつくものの脱走を繰り返していました。
その後、薬の量が増えたのですが、Aさんはその薬と闘っているかのように、夜も眠らずフラフラになりながら出口を捜したりしました。
転倒の危険があるので、寮母室で車イスに座ってもらっていると、抑制ベルトをハサミで切ろうとするなど、そのパワーはまだまだ健在でした。
不思議なもので、なんとか向精神薬に頼らず、やっていこうと昨日まで,思っていたのに、一度その鎖がはずれてしまうと、薬が効くことを望んでしまう自分がいるのです。
まるで大雨が降って堤防が決壊するのと同じように、最初はほんの少しの亀裂が、ある時を境にいっきに崩れて、自分はどこかに流されてしまったかのようでした。
薬でフラフラになりながらも、「家まで送ってくれ」と何度も事務所に来ては屋外への脱走にチャレンジする日が数日続き、その問、薬の量も倍になりました。
ものわかりのいい普通のおじいさんに変身していたのです。
病院に行く途中、自宅へ立ち寄っておばあさんを乗せ、いよいよ痴呆診断センターの受診です。
施設からは私と看護婦が同行しました。
まず診察の前に、M「Iを撮影することになりました。
じっとしていてくれるかな、途中で拒否されたら困るなと思いながらの約15分は長かったですが、無事撮影は終了しました。
いよいよ診察の時が来ました。
医師の診察の前に、精神相談員による痴呆テスト、医師の診察、診断という順番で受診は進んで行きました。
痴呆テストを受けているAさんを見ていて感じていたことは、『いったい何を目的にAさんをここに連れて来たのだろう」Wどんな気持ちで何度も幼稚な質問に答えているのだろう」W本当に痴呆診断センターの受診がためになるのだろうか」などという疑問ばかりでした。
なぜ否定的な思いが募ってくるかというと、今まで何度も痴呆診断センターを受診してきましたが、ここで私たちが望んでいたことは結局、向精神薬の処方だったからだと思います。
痴呆テストの結果は正常と痴呆の境界線くらい、M「Iでは小さい脳梗塞の跡が見られるとの診断でした。
脳の血管の循環が悪いと痴呆症状も悪化するからと、循環を良くする薬が追加となったのでした。
診断の所見は、Aさんは思っているほど重度の痴呆ではなく、自由気ままに思いついた所に出かけていた昔の放浪癖が、年を取ると共に突出してきたのではないか、また痴呆というより性格的なものが影響しているのではないか、ということでした。
この話は、今後Aさんを介護していく上で大変参考になるアドバイスで、追加された薬よりも益あるものに思えました。
帰る車の中で、「子どもに聞くようなことぽっかり聞いてパカにしとる。
あれでも医者か」と、Aさんはつぶやいていました。
「それもそうだ、ごもっとも」と、私は思わず同感してしまいました。
おおらかに脱走する痴呆診断センターの受診に期待していたAさんの症状改善。
それはあっけなく崩れ去りました。
子ども扱いするような診察への不満なのか、俳句名人としてのプライドが傷ついたのか、受診前より俳畑、脱走がひどくなったのでした。
ドアは番号を覚えられて、すぐにクリアーしてしまいました。
外に出たいと玄関に集まってくるおばあさんたちに、「外に出たいのか、今ドアを開けたる」と親切に暗証番号を押してくれるのです。
カギがかけられて聞かないドア、窓は調査済みで、まさかこんな所からは出ないだろうと,思っている一般浴室の窓、リフト浴室の窓、トイレの中の高い窓などから脱走にチャレンジ。
まさにネパーギブアップの精神です。
ところだけど、おじいさんが道を横断して歩いていたで、与謝の園の人と違う?」と突然の電話がありました。
すぐにAさんが頭に浮かび、確認の電話をしたところ、「Aさんがいない」と宿直員からの返事。
今までは脱走が日中だったため、水際で行方不明になるのを防ぐことができていたのですが、いつかは起きるだろうと,思っていた夜間の脱走がとうとう起きたのでした。
外はみぞれまじりの雨がピリピリと降るたいへん寒い日でしたが、宿直員にクルマでの捜索を指示し、もう1人の生活指導員に電話で緊急出動の電話をして、私も園に出動しました。
幸い2人とも施設から車で10分程度のところに住んでいるため、間もなく園に集合することができました。
私は事務所にいて無線で状況把握と指示をする役、あとの2人が無線付きの自動車での捜索という配置で、Aさんの自宅方面を捜索しました。
を見ながら、一度捜索した道はマーカーで塗り、新たに探してほしい場所を捜索隊に指示し続けました。
降っていたみぞれまじりの雨が本格的なみぞれになって、もうすぐ雪になりそうでした。
この状況では早く発見しないとAさんの命が危ぶまれるので、私は園長に出動を要請し、警察と町消防団長にも状況を伝えました。
捜索隊とは、最悪の状況をも想定して無糠でやりとりしていました。
園長が到着したので、どの時点で消防団へ捜索を依頼するのか、あるいは今から全職員に出勤を要請して捜索するのかを相談しました。
この間に、他の町に住んでいる介助員が捜索に加わっていましたが、状況は変わりません。
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